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大阪地方裁判所 昭和52年(ワ)6261号 判決

原告

吉田暢

右訴訟代理人弁護士

野村裕

(ほか四名)

被告

東亜ペイント株式会社

右代表者代表取締役

児玉豊治

右訴訟代理人弁護士

門間進

(ほか二名)

主文

一  原告は被告の従業員たる地位にあることを確認する。

二  被告は、原告に対し、金一〇〇八万七九〇二円及び内金五三〇万二一五二円に対する昭和五二年一一月一六日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告は、原告に対し、昭和五二年一一月一日以降毎月二五日限り一か月当り金一八万三八四八円を支払え。

四  原告のその余の請求を棄却する。

五  訴訟費用は被告の負担とする。

六  この判決は、主文第二、三項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主文第一、三、五項と同旨及び、被告は原告に対し、金一〇〇八万七九〇二円及びこれに対する昭和五二年一一月一六日から右支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  金銭の支払を求める部分につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張(略)

第三証拠(略)

理由

一  原告は、昭和四〇年四月、被告会社に入社し、昭和四八年一〇月当時、被告会社の神戸営業所に勤務し、営業を担当していたものであること、被告会社は、塗料及び化成品の製造・販売を業とし、肩書地(略)に本社を、東京に支店を、大阪に事務所を置き、また大阪外二か所に工場を、神戸外一〇か所(但し、大阪、東京は除く)に営業所を置き、昭和五二年当時従業員約八〇〇名を擁していたこと、被告会社は、原告に対し、昭和四八年一〇月三〇日付をもって名古屋営業所に転勤を命じ(本件配転命令)、ついで、昭和四九年一月二二日、就業規則六八条六項すなわち「職務上の指示命令に不当に反抗し又は職場の秩序を紊したり若しくは紊そうとしたとき」に該当するとして、懲戒解雇を行ったこと、原告が右条項に該当するとされた解雇理由は、原告において、被告会社が原告に対し前記昭和四八年一〇月三〇日付をもって命じた本件転勤命令に応じなかったことであること、以上の事実は当事者間に争いがない。

二  本件転勤命令及び解雇の効力

1  原告の勤務地に関する特約

(一)  まず原告は、原告が被告会社に入社する際の労働契約において、その勤務地を「大阪」とする旨の合意が成立したと主張しているところ、(証拠略)によれば、原告の被告会社に対する昭和三九年七月四日付入社志願書には、被告会社に入社後の勤務地の希望として大阪と記載されており、被告会社は、原告に対する昭和四〇年二月一九日付書面で、原告に対し、その勤務地を大阪と決定した旨の連絡をしたこと、そして、原告が被告会社に入社した後の最初の勤務地は大阪であったこと、以上の事実が認められる。しかし、後記(二)の冒頭に掲記の各証拠に照らして考えると、右事実のみから、原告と被告会社との雇傭契約において、原告の被告会社における勤務地を大阪と特定して定める旨の合意が成立したものとは認め難いし、また、原告の勤務地を大阪とする旨の合意が成立したとの事実に副う原告本人尋問の結果もたやすく信用できず、他に右勤務地に関する原告の主張事実を認め得る的確な証拠はない。

(二)  却って、(証拠略)を総合すると、以下の事実が認められる。すなわち、

(1) 被告会社は、大阪に本社を置き、東京に支店を、大阪外二か所に工場を、大阪、東京、神戸、その他一〇か所に営業所を置いている株式会社であって、その社員特に営業担当者を終生同一の勤務地に勤務させることは、その営業所が全国各地にある関係から、原則としてできないこと、

そして、被告会社では、現実に、営業マンの出向や転勤等の人事異動が、数多く行われており、東京、大阪から地方営業所に転勤し、二、三年して、また、東京、大阪に戻るというような人事異動も屡々行なわれていること。

(2) 従って、被告会社の就業規則や労働協約には、被告会社は、業務の都合により、その社員に転勤、配置転換等の異動を命ずることができると定められており、また就業規則には、社員は正当な理由なくして異動を拒絶できない旨の規定が存在すること。

(3) 次に、被告会社においては、通常、新入社員を採用する際の面接試験において、その勤務につき、必ずしも、希望通りにできない旨告げて、その承諾を得ることにしていること。

もっとも、被告会社が新入社員を募集する際には、その入社志願書に入社後の勤務地についての希望を記載させるようにしているが、右は、被告会社が、新入社員の最初の勤務地を決定する際の参考にするため、入社志願書に便宜その任地希望を書かせているに過ぎないこと、従って、右入社志願書に記載の希望の勤務地は、あくまでも、入社希望者が被告会社に採用された場合の勤務地の希望として記載したに過ぎないのであって、労働条件の一つとして勤務地を特定する趣旨の申込みではないから、被告が、新入社員の最初の勤務地をその希望通りに定めても、これによって、新入社員と被告会社との間において、労働契約の一内容として、右勤務地に関する合意が成立するものではないこと。

(4) 次に原告が被告会社に提出した昭和三九年七月四日付入社志願書の希望勤務地欄には、前記の通り、「大阪」と記載されており、被告会社が、原告に対し、昭和四〇年二月一九日付の書面で、原告の勤務場所を大阪とした旨の通知をしたが、これも、前記一般の場合と同様に、被告会社が、原告との雇傭契約の内容とする趣旨の下に、その勤務地を大阪として通知したのではなく、単に、原告の希望を参考にして、その入社後の最初の勤務地を大阪と定め、その旨通知したものであること、

(5) そして、原告は、大学卒として被告会社に採用され、かつ、その入社当初から営業を担当していたのであるから、将来被告会社が業務上必要のあるときは、当然、転勤のあることが予定されていたのであって、現に、原告は、その後昭和四四年四月一日には被告会社から訴外株式会社ヤマイチ商店に出向し、ついで同四六年七月一日右出向を解かれて大阪以外の神戸営業所に転勤したが、右転勤に際し、その勤務地が大阪であるとして異議を述べたようなことはないこと、

以上の事実が認められる。

(三)  右認定事実によれば、原告と被告会社との間で、その労働契約成立時に、その契約内容として、原告の勤務地あるいは勤務場所を大阪とする旨の合意がなされたことはないというべきであるから、右勤務地あるいは勤務場所を大阪とする旨の合意があったとの原告の主張は失当である。

2  次に、(証拠略)によれば、前述の通り、被告会社と組合との労働協約二九条には、「会社は業務の都合により、組合員に転勤、配置転換を命ずることができる。」と定められており、また、被告会社の就業規則一三条には、「業務の都合により、社員に異動を命ずることができる。この場合には正当な理由なしに拒むことはできない。」と定められていることが認められるから、被告会社においては、業務上の必要がある限り、従業員の承諾がなくても、これを一方的に転勤させることができるが、一方、従業員は、正当な理由があれば、右転勤を拒否することができるものというべきである。

3  業務の必要性について

そこで、次に、被告会社において、原告を名古屋営業所に転勤させる業務上の必要があったか否かについて判断する。

(一)  前記一の争いのない事実に、(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。

すなわち、

(1) 原告は、昭和四〇年三月関西学院大学経済学部を卒業し(当時二二歳)、同年四月一日被告会社に入社すると同時に、大阪第一営業部に配属され、営業関係の仕事に従事していたところ、昭和四四年四月一日付で訴外株式会社ヤマイチ商店に出向し、ついで昭和四六年七月一日付で右出向をとかれ、被告会社の神戸営業所勤務となったこと、その間原告は、昭和四五年四月一日付で主務待遇に、同四七年四月一日付で主任代理待遇に、同四八年四月一日付で主任待遇となったこと、

そして、原告は、被告会社の大阪第一営業所では、国鉄、電々公社、住宅公団等の工事発注者に対する塗料販売の指名運動等による販売活動を行ない、また、ヤマイチ商店及び神戸営業所においても、塗料の販売活動を行なっていたこと。

(2) 次に、被告会社大阪汎用品事業部(建築関係等の外家庭塗料も担当)では、昭和四八年当時、販売第二課が家庭塗料の販売を担当していたところ、家庭塗料は、粗利益が高く、将来性があったので、右販売第二課を事業部に昇格させるか、あるいは別の販売会社を新設することが考えられていたこと(右販売第二課は昭和五一年に家庭塗料部に昇格)、また、当時、家庭塗料を主力に扱っていた被告会社の代理店で広島市内にあるPS塗料の経営状態が昭和四七年末頃から悪化し、昭和四八年二月に倒産し、広島地区における家庭塗料の販売が、他社に侵蝕されていたため、被告会社としては、同地区の失地回復を図る必要があったこと。

(3) そこで、被告会社大阪汎用品事業部販売第二課では、中国地方と四国の瀬戸内沿岸地方における家庭塗料の販売を強化するため、これを担当する同課直轄の広島駐在員を置くことにし、当時、被告会社広島営業所に配属されていた段主任を、右販売二課の広島駐在員に充てたこと、

(4) そのため、広島営業所にその後任を補充する必要があったこと、ところで、広島営業所は、所長を含めて男子三名、女子二名の計五名であったところ、段主任の後任には、同営業所の販売力を増強することができ、かつ、所長の補佐もできる人物が要請されていたこと、

(5) その上、その頃漸く本四連絡架橋の建設工事の着工が間近となったので、塗料業界では、技術的な諸問題と長期防食の成果をあげるため、昭和四七年末に大手三社(関西ペイント、日本ペイント、大日本塗料)が、海上長大橋防食技術研究共同体を、ついで昭和四八年秋から四社(被告会社、川上塗料、日本油脂、神東塗料)が右同様の研究共同体を発足させ、二つのプロジェクトチームが編成されたこと、そして、被告会社内部でも、昭和四八年一〇月一日、重防食用塗料プロジェクトチームを編成し、同チームは、技術面と並んで販売面でも、リーダーとして石山、森賀を置いて、各橋梁メーカーへの指名活動を開始しようとしていたこと。

(6) 勿論、右本四架橋工事に使用される塗料の販売については、被告会社本社の担当部が中心になって、右販売のための指名運動(橋梁メーカーが本四公団に提出する塗料メーカーリストアップをして貰う運動)を行なうのであるが、現地においても、その需要者側の現地工場等と接触をもって、被告本社の担当部の行なう指名運動をやり易くするための下地を作る必要があったのであって、そのためには、ある程度、指名運動についての経験のあるものを被告会社の広島営業所に配置する必要があったこと。

(7) 以上のようなところから、被告会社広島営業所の段主任の後任には、係長、主任、主任代理程度のものを配置する必要があったところ、当時、被告会社大阪汎用品事業部には、右段主任の後任者として適当な人材が見当らなかったこと。

そこで、被告会社は、当時神戸営業所にいた主任の原告を、広島営業所の段主任の後任に転勤させることとし、昭和四八年九月二八日、神戸営業所の長尾所長を通じて、原告に対し、右転勤の内示をしたこと。

(8) しかし、原告は、後述の家庭事情を理由に、転居を伴う転勤には応じられないとして、広島営業所への転勤を拒絶し、その後の長尾所長の説得にも応じなかったこと。

(9) 右のように、原告は、被告会社側の説得にも拘らず、容易に広島営業所に転勤することを承諾しなかったので、被告会社は、原告が広島営業所への転勤をあくまで拒絶する場合には、広島営業所の段主任の後任には、名古屋営業所の金永主任を転勤させ、右金永主任の後任として原告を名古屋営業所に転勤させることにしたこと、そして、被告会社の梅原大阪汎用品事業部長が、同年一〇月一日、原告と会い、原告に対し、一応広島営業所に転勤するよう説得したが、原告がこれに応じなかったので、その場で原告に対し、名古屋営業所への転勤を内示して原告を説得したところ、原告は、右名古屋営業所に転勤することも、後記家庭の事情を理由にこれを拒否したこと。

(10) ところで、当時原告を名古屋営業所に転勤させる必要性については、金永主任の後任を補充すること(いわゆるローテーション)以外にはなく、また、右金永主任には、是非共原告でなければならない事情はなく、その他のもので補充することも可能であったこと。

(11) 次に、被告会社は昭和四八年一〇月八日に、右庄田を含む五〇名の定期異動を発令したが、原告については原告が名古屋営業所に転勤することを拒否していたので、右転勤の発令を延ばし、さらに原告に対し、名古屋営業所への転勤に応ずるよう説得を重ねたこと、しかし、原告は、右被告会社の説得にも拘らず、これに応じなかったので、被告会社は、原告の承諾が得られないまま昭和四八年一〇月三〇日、原告に対して、名古屋営業所勤務を命ずる旨の転勤命令を発令したところ、原告は、右命令に従わず、名古屋営業所に赴任しなかったこと。

(12) そこで、被告会社は、やむなく、昭和四八年一二月一八日、原告に代え、名古屋営業所の金永主任の後任に、主任ではない大阪営業所勤務の宮本昌敏(昭和四五年入社)を転勤させたこと。

そして、被告会社は、原告が右名古屋営業所への転勤命令を拒絶したことを理由に、昭和四九年一月二二日、原告を解雇したこと。

以上の事実が認められ、右認定に反する(証拠略)の記載内容及び原告本人尋問の結果はたやすく信用できず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

してみれば、被告会社においては、昭和四八年一〇月当時、広島営業所の段主任の後任として適当な者を、右広島営業所に転勤させる必要があったところ、被告会社は、原告をその適任者として、原告に対し、広島営業所への転勤を内示してその転勤を求めたが、原告がこれを拒否したので、原告を広島営業所に転勤させることをやめ、これに代って、名古屋営業所の金永主任を広島営業所に転勤させたこと、したがってその後は、被告会社において、右名古屋営業所の金永主任の後任者として適当な者を名古屋営業所に転勤させる必要があったのであって、その限度で原告を名古屋営業所に転勤させる必要があったといえるが、右名古屋営業所の金永主任の後任者として、是非共原告でなければならない事情はなかったのであるから、右原告を名古屋営業所へ転勤させる必要性は、それ程強いものではなく、場合によっては、原告に代えて他の従業員を名古屋営業所に転勤させても足りる状況であったというべきである。

(二)  もっとも、被告会社は、神戸営業所の原告の後任として訴外庄田幸男を内定していたことを一理由として、原告を名古屋営業所に転勤させる必要があったと主張しているが、他に特段の事情の認められない本件においては、原告の後任として庄田幸男を神戸営業所に転勤させることを内定していたからといって、是非とも原告を名古屋営業所に転勤させなければならない必要があったとは認め難く、むしろ原告の後記家庭事情を考慮すると、原告については転居を伴わない部署に配転するか、或いは、場合によっては、右庄田幸男を名古屋営業所に転勤させることも可能であったというべきであるから、右被告会社の主張は失当である。

また、被告会社は、名古屋営業所の金永主任の後任としては、原告以外に主任クラスのものはいなかったし、さらに、名古屋営業所は、被告会社のなかでは大きい営業所であって、早く支店に昇格することが期待されていたが、汎用品塗料の占める割合が他の営業所に比して低くかったため、金永主任の後任として、原告の如き指名活動、販売店管理、コンスタントユーザーに対する営業活動においてこれまで十分な成果をあげてきたベテランを名古屋営業所に配属する必要があったと主張しているが、前述の通り、原告が名古屋営業所に転勤することを拒絶したので、その後名古屋営業所の金永主任の後任として、被告会社に入社後三年余の主任ではない宮本昌敏を転勤させており、かつ、原告の代りに右宮本昌敏を転勤させたために、その後名古屋営業所において支障が生じたとの事実を認めるに足りる証拠はないから、右の点に関する被告会社の主張も採用できない。

(三)  なお、被告会社は、被告会社における配転、転勤は、特定の従業員を配転、転勤させなければならない必要に基づく場合もあるが、一般的には、むしろ社員の能力を高め、経験を豊富にし、被告会社の人事の円滑化を図るため、種々の部所を経験させる必要に基づく場合が多いと主張し、(人証略)には、右被告会社の主張に副う趣旨の証言がある。

しかし、本件原告の場合には、昭和四〇年四月に被告会社に入社以来、八年余りの間に、訴外株式会社ヤマイチ商店に出向し、さらに神戸営業所にも転勤をしているのであるから、その能力を高め、経験を豊富にするために、さらに昭和四八年一〇月に名古屋営業所に転勤させる必要があったとは到底認め難いのである。

4  原告の事情

(一)  原告の家族が、妻富子、長女陽子、母の四人であることは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、(証拠略)を総合すると、以下の事実が認められる。すなわち、

(1) 原告は、本件転勤命令が出された昭和四八年一〇月当時、母親イト(当時七一歳)妻富子(当時二八歳)、長女陽子(当時二歳)と共に堺市にある母親名義の家に住んで生活をしており、右母親を扶養していたこと。

(2) ところで、母親は、高齢ではあったが、当時元気であって、食事の用意や買物も出来たこと、しかし、母親は、生まれてから大阪を離れたことはなく、長年続けてきた俳句を趣味に、老人仲間で月二、三回集まって句会を開いていたので、原告が名古屋営業所に転勤になった場合に、右堺の自宅を引き払って、原告と共に名古屋に移住することは、その年齢や生活環境等に照らし、著しく困難であったこと。

(3) なお、原告には、当時他に別居して独立の生計を営んでいる兄三人、姉二人がいたが、兄は異母兄弟であり、また、姉は既に結婚していたことなどから原告以外の兄や姉が原告の母親を引きとるなどしてその面倒をみることは事実上できなかったこと。

(4) 次に、原告の妻は、昭和四八年八月三〇日までは、訴外東洋紡績株式会社に勤めていたが、右同日、同会社を退職し、同年九月一日から保育所「ピッコロ」に保母として勤めるようになったところ、右ピッコロは、無認可の保育所で、当時保母三名、パート二名の人容で発足したばかりであって、原告の妻を含めて、全員保母の資格はなく、原告の妻は保母資格を取得するために勉強していたこと、そして、原告の妻は、当時右保育所の運営委員をしていたので、発足したばかりの保育所をやめることは事実上困難であったし、また、原告と共に名古屋に移住しても、二才の幼児を保育所に預けて働らくところが見付かるとは限らなかったこと。

(5) 従って、原告が名古屋営業所に転勤になった場合には、原告は、単身で赴任し、母親及び妻子と別居せざるを得ない状況にあって、原告にかなりの犠牲を強いることになること。

以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

してみれば、原告が、名古屋営業所に転勤した場合には、相当の犠牲を強いられることになるといわなければならない。

(二)  もっとも被告会社は、原告の母親イトの扶養については、原告が扶養しなければならないことはなく、他の兄弟姉妹が平等に扶養すべきであると主張しているが、前述の通り、原告の兄ら三人は、いずれも異母兄弟であって、兄らにとっては、実母でなく、また、姉ら二人は、結婚して別居していたのであるから、他の兄弟姉妹が原告の母親を扶養することは、現実の問題として容易に実現できることではなく、高齢な母親にとっても、原告と別れて、他の兄弟姉妹の扶養を受けることは、苦痛であると推測されるから、原告の母親については、原告以外の兄弟姉妹が扶養できるとの事実を前提とした被告会社の主張は失当である。

なお、被告会社は、右の外にも種々の事情をあげて原告が名古屋営業所に転勤するについて、家庭的な障害はないとの趣旨の主張をしているが、前記認定の諸事情に反する被告会社主張の事実はこれを認めることができないし、また、その余の被告会社主張の事情(単身赴任手当が支給されること等)は、原告が名古屋営業所に転勤することによって被る不利益をそれ程軽減するものではないというべきである。従って、右被告会社の主張は採用できない。

5  しかして、前記3に認定の如く、被告会社が原告を名古屋営業所に転勤させる必要性がそれ程強くなく、原告に代え、他の従業員を名古屋営業所に転勤させることも可能であったのに対し、原告が名古屋営業所に転勤した場合には、その母親、妻、子供と別居を余儀なくされ、相当の犠牲を強いられること、さらには、原告は、昭和四〇年四月に被告会社に入社して以来、訴外株式会社ヤマイチ商店に出向した外、被告会社の神戸営業所に転勤し、かつ、神戸営業所に転勤してから本件転勤命令が出された昭和四八年一〇月までに二年四ケ月しか経過していないこと等に照らして考えると、原告には、神戸営業所から名古屋営業所への転勤を命じた本件転勤命令を拒絶する正当な理由があったものと認めるのが相当であって、これに反する(証拠略)はたやすく信用できず、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

してみれば、原告が名古屋営業所への転勤を拒絶しているのに、敢て名古屋営業所への転勤を命じた本件転勤命令は、被告会社において、その人事権を濫用した権利の濫用であって、無効というべきである。

従って、また、原告が本件転勤命令に従わなかったことを理由になされた本件解雇も、無効というべきである。

三  賃金請求権について

(一)  原告が解雇されなかった場合の昭和四九年一月二二日から昭和五二年一〇月三一日までの賃金及び一時金の総合計が金一〇〇八万七〇九二円になること、及び昭和五二年度賃上げ後の賃金相当額が一か月金一八万三七四八円であること、右賃金の支払いが毎月二五日であること、はいずれも当事者間に争いがない。

(二)  ところで、被告会社は、本件解雇後本件の訴状が送達された日である昭和五二年一一月一五日から二年前の昭和五〇年一一月一四日までの賃金、一時金の差額の支払債務は、労基法一一五条によって二年の消滅時効が完成しているところ、昭和五四年三月八日の口頭弁論において右時効を援用したので、右部分支払の債務は消滅したと主張している。

しかしながら、原告が、被告会社に対し、昭和五〇年中に本件解雇が無効であるとして、従業員としての仮の地位及び賃金相当分や一時金の仮払いを求めて大阪地方裁判所に仮処分の申請をなし、(大阪地方裁判所昭和五〇年(ヨ)第三二七四号事件)、その後、同裁判所が、右原告の申請を認め、被告会社に対し、昭和四九年一月二二日に遡って右賃金相当分及び一時金の仮払を命じたことは、被告会社の主張自体に照らして明らかであるから、右原告の仮処分の申請により、右解雇後の賃金等の債務の消滅時効は中断したものというべきである。よって被告会社の右主張は失当である。

(三)  次に、被告会社は、大阪地裁の仮処分決定(昭和五〇年(ヨ)第三二七四号)により、昭和四九年一月二二日から同五二年一〇月二〇日までの賃金相当分として、合計金四七八万五七五〇円を、同年一〇月二一日から昭和五七年七月二〇日までの賃金相当分として、合計金一〇九一万一三七六円を、昭和五二年冬期一時金から昭和五七年夏期一時金までの一時金合計金三七〇万三〇二〇円を、それぞれ原告に対して仮に支払っていると主張する。

しかしながら、右支払は、あくまで仮処分決定に基く仮払いであって、いわゆる本来の弁済には該当しないから、被告会社が右主張の金員を仮に支払ったことは、原告の本件賃金等の支払請求を拒む事由にはなりえないものというべきである。

(四)  なお、原告は、本件解雇後昭和五二年一〇月末日までの賃金、一時金等の合計金一〇〇八万七九〇二円に対する本件訴状送達の日の翌日であることが記載上明らかな昭和五二年一一月一六日から右支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めているが、(証拠略)によれば、原告は、前記仮処分(大阪地方裁判所昭和五〇年(ヨ)第三二七四号)決定により、本訴を提起する頃までに、被告会社から右金一〇〇八万七九〇二円のうち昭和四九年一月二二日から昭和五二年一〇月二〇日までの賃金相当分として金四七八万五七五〇円の支払を受けていることが認められるところ、右金四七八万五七五〇円は、原告主張の賃金に対する本来の一部弁済ではないけれども、原告は、右金員の仮払いを受けることにより、これを事実上利用し得たものというべきであるから、右未払賃金等のうち仮払を受けた金四七八万五七五〇円については、本来の弁済の遅滞による損害は発生していないものというべきである。

従って、原告の本訴請求のうち、右金四七八万五七五〇円に対する遅延損害金の支払を求める部分は失当である。

四  よって、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、被告会社との間で、原告が被告会社の従業員たる地位を有することの確認、及び、被告会社に対し未払賃金等合計金一〇〇八万七九〇二円及び内金五三〇万二一五二円に対するその弁済期の後で、本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五二年一一月一六日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払、更に昭和五二年一一月一日以降毎月二五日(被告会社の賃金支給日)限り一か月当り金一八万三八四八円の賃金の支払を求める限度で理由があるから、右限度でこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民訴法九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 後藤勇 裁判官 千徳輝夫 裁判官 小宮山茂樹)

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